「あなたは? あなたの望みは?」
「いい人間になりたい」
泣ける! ヒューマン・ドラマの名作、映画『ギルバート・グレイプ』がBSでテレビ放送されます。
この記事では、映画『ギルバート・グレイプ』のあらすじご紹介。また、原作と照らし合わせながら、原作者が伝えたかったメッセージを読み解いてゆきます。
- 『ギルバート・グレイプ』BSでのテレビ放送(2023)はいつ?原題の意味は?ディカプリオは何歳だった?
- 『ギルバート・グレイプ』あらすじ【家族のために自分を犠牲に!心優しい青年を変える、少女との出会い】
- “ギルバート・グレイプを苦しめていたもの”とは?【いい人になりたい】本当の意味を解説&考察!
『ギルバート・グレイプ』BSでのテレビ放送(2023)はいつ?原題の意味は?ディカプリオは何歳だった?
『ギルバート・グレイプ』は1993年のアメリカ映画。
家族の面倒をみるため田舎町を離れられない青年が、少女との出会いをきっかけに人生を見つめ直す、ヒューマン・ドラマです。
自閉症の弟を演じたレオナルド・ディカプリオは、当時19歳。アカデミー助演男優賞にノミネートされています。
映画『ギルバート・グレイプ』 | |
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原題 | What's Eating Gilbert Grape |
製作国 | アメリカ |
上映時間 | 117分 |
監督 | ラッセ・ハルストレム(『ショコラ』) |
原作&脚本 | ピーター・ヘッジズ『What’s Eating Gilbert Grape』 |
出演 | ジョニー・デップ、レオナルド・ディカプリオ、ジュリエット・ルイス |
原題は【 What's Eating Gilbert Grape 】。
直訳すると、「何がギルバート・グレイプを食べているのか?」となります。ただ、【 eat 】には「~を悩ませる」という使い方もありますので、全体で「何がギルバート・グレイプを苦しめているのか?」という意味です。
13:00 ~ 14:59
『ギルバート・グレイプ』あらすじ【家族のために自分を犠牲に!心優しい青年を変える、少女との出会い】
アイオワ州のいなか町、エンドーラ。食料品店ではたらく青年・ギルバート(ジョニー・デップ)は生まれてから24年間、この町から出たことがありません。
ギルバートは、知的障害をもつ弟・アーニー(レオナルド・ディカプリオ)と過食症で動けない母・ボニーの世話をしています。姉と妹の生活も支えています。
家族を捨て、自分だけ町を出るわけにいかなかったのです。
さて、弟アーニーの18歳の誕生日が、次の日曜日にせまっていました。しかし、パーティの準備でなにを受け持つか、言い合いになってしまい、ギルバートはうんざり。
あるとき、アーニーが町の給水塔によじ登り、警察も出動する騒ぎを起こしてしまいます。その様子を見ていたのが、少女・ベッキー(ジュリエット・ルイス)です。
トレーラーに乗って世界を旅していたベッキーは、トレーラーが故障したため、エンドーラの町にとどまることになったのです。
風のように自由なベッキーと出会い、ギルバートの気持ちにも変化が訪れ・・・
thinking about that time Leo decapitated a grasshopper in WHAT'S EATING GILBERT GRAPE (1993) pic.twitter.com/9f0iw8mArf
— Netflix Tudum (@NetflixTudum) May 3, 2020
“ギルバート・グレイプを苦しめていたもの”とは?【いい人になりたい】本当の意味を解説&考察!
優しい若者を追いつめる“田舎の閉塞感”! 実はそれだけではない?
中盤。1時間01分32秒。
ベッキーとギルバートはこんな会話を交わします。
ベッキー「あなたの望みを浮かべて」
ギルバート「新しい家を僕の家族に。お袋にエアロビクスを。アーニーに新しい脳を・・・」
ベッキー「自分には? あなたの望みは?」
ギルバート「いい人間になりたい」
弟や太ったママの面倒を見ているギルバート。ただでさえ優しい彼が、「いい人になりたい」なんて・・・
映画だけを見ていると、さびれた田舎の閉塞感が、優しい青年を追いつめている・・・そんな風に受け取れます。
しかし、原作『What's Eating Gilbert Grape』を読むと、この作品はもっと広い社会批判や哲学的示唆に富んでいることがわかります。
ギルバートの人格形成に影響を与えたエピソードを削除? 原作が突き付ける【いい人になりたい】の意味とは?
英語タイトル【 What's Eating Gilbert Grape 】は、「何がギルバートをイライラさせているのか?」という意味でした。
この物語は、ギルバートを苦しめているものの正体を突き止める話、でもあります。
原作を読むと、この問いの答えとして、以下のような候補があげられます。
② ギルバートを苦しめているのは、“いい人であろうとすること”である。
③ ギルバートを苦しめているのは、父と同じように感情を押し殺し、じっと我慢する生き方である。
①は表面的な答え。
③はベッキーに気づかされる答えです。このままじゃ、自殺したお父さんと同じ末路をたどってしまうよ、と。
1. What's Eating Gilbert Grape
— @america (@atamerica) October 7, 2022
Dari poster aja udah eyecatching ya, ada Leonardo Dicaprio dan Johny Depp ya. Tapi film ini agak nano nano dan mengandung bawang. Siap siap baca sinopsisnya........ pic.twitter.com/T5uR5WmnKY
(出典:@america on X)
解釈が難しいのが②。
ギルバートは感情を表に出さないキャラクターなので、映画だと「何を考えているのか?」が見えません。
実は、ギルバートの人格形成に大きな影響を与えたあるエピソードが、映画では省略されています。
それが、父の自殺にまつわるエピソードです。
ギルバートが小学校に通っていた、ある日のこと。ギルバートは朝から胸騒ぎがしていました。父がふさぎこんでおり、ギルバートは学校の休み時間を利用して、父の様子を見に自宅に戻ろうか、と考えていました。
ところが、ギルバートは授業中におもらししてしまいます。隣りにいた友だちのランス・ドッジは、ギルバートが失禁したことを先生に言いつけます。
ギルバートは床の掃除をするハメになり、帰りが遅くなります。結果的に、父の自殺を止めることができなかったのです。
この出来事は、ギルバートに深い罪悪感を植え付けます。父の死に責任を感じたギルバートは、“父の身代わり”として過食症の母を見守り、知的障害をもつアーニーの世話をしてきました。
それでもギルバートの罪悪感は消えません。だから、
「いい人間になりたい」
と、発言しているのです。
ベッキーのセリフ「『何をするか』が大事なの」の背景とは?不平等と欺瞞(ぎまん)、アメリカ社会への批判?
What's Eating Gilbert Grape (1993) dir. Lasse Hallström pic.twitter.com/RLACuor9ue
— cinesthetic. (@TheCinesthetic) August 8, 2022
(出典:映画『余命10年』公式 on X)
ギルバートとは対照的に、友だちのランスは優秀な成績で学校を卒業します。ランスはさびれた田舎町をぬけ出し、やがて全国ネットのニュースキャスターとなります。「人生の成功者」です。
ギルバートは、町を出て行ったランスがキャスターとして成功し、チヤホヤされていることに嫉妬します。アメリカ社会がもつ「不公平」「不平等」に、はげしい怒りをぶつけているのです。
ランス・ドッジは映画には登場しません。原作だけのキャラクターです。
ギルバートは都会にあこがれ、自分たちが暮らすエンドーラの町を“冷めた目”で見ています。
この背景を知っておくと、映画版のベッキーのセリフがより深い意味をもってきます。
「外見の美しさなんかどうでもいいの。長続きしないもの。いずれ顔にシワができて、白髪もできる。 『何をするか』が大事なの」
これは、ギルバートのセリフ「ここ(エンドーラの町)では、何もすることがない」を受けたもの。
- 田舎町=わびしく、将来がない
- 都会=華やかで、可能性に満ちている
と決めつけているギルバートに、どこに住むかではなく“どう生きるかが大事”という別の価値観を教えてくれるのです。
原作を書いたのも、映画『ギルバート・グレイプ』の脚本も書いたのも、作家のピーター・ヘッジズです。
【英語版】を読める人は、ぜひ原作も手に取ってほしい。
80~90年代のアメリカ文学らしく、巧みに使われたメタファーと哲学的示唆。映画では表現しきれなかった、“もうひとつのギルバート・グレイプ”が見えてきます。
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