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『ライフ・イズ・ビューティフル』テレビ放送!考察【最後のなぞなぞの答えは?伝えたいことは?】

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映画『ライフ・イズ・ビューティフル』テレビ放送!考察【最後のなぞなぞの答えは?伝えたいことは?】ショーペンハウアー

全世界をあたたかな涙で包んだイタリア映画の名作、『ライフ・イズ・ビューティフル』がBSでテレビ放送されます。

 

この記事では、映画『ライフ・イズ・ビューティフル』のあらすじご紹介します。また、最後のなぞなぞの答えや作品が伝えたかったメッセージを考察します。

実話? 『ライフ・イズ・ビューティフル』BSでのテレビ放送はいつ?原題の意味は?

『ライフ・イズ・ビューティフル』は1997年のイタリア映画。

おしゃべりなユダヤ系イタリア人が、ナチスの迫害から我が子を守るため、嘘をつき続けるというヒューマン・ドラマです。

映画『ライフ・イズ・ビューティフル』
原題  La vita è bella
製作 1997年
製作国 イタリア
上映時間 117分
監督 ロベルト・ベニーニ(『ピノッキオ』)
脚本 ヴィンチェンツォ・チェラーミ、ロベルト・ベニーニ
受賞歴 アカデミー外国語映画賞
出演 ロベルト・ベニーニ、ニコレッタ・ブラスキ、ホルスト・ブッフホルツ

原題の【  La vita è bella 】は、イタリア語。【 è 】は英語のbe動詞にあたり、全体で「人生はすばらしい」という意味になります。

 

映画『ライフ・イズ・ビューティフル』のテレビ放送は、2021年12月7日(火)。NHKのBSプレミアムの「BSシネマ」にて。

13:00 ~ 14:57

字幕スーパーでの放送となります。

泣ける! 映画『ライフ・イズ・ビューティフル』あらすじ

1939年。第二次世界大戦の直前のイタリア。

ユダヤ系イタリア人のグイド(ロベルト・ベニーニ)は、陽気な男。叔父さんを頼って、北イタリアにある田舎町にやってきます。

 

グイドは、小学校の先生であるドーラ(ニコレッタ・ブラスキ)にひと目ぼれ。

猛アタックの末にドーラの心を射止めて、結婚します。二人は、かわいい息子・ジョズエ(ジョルジョ・カンタリーニ)を授かるのでした。

▲クリックすると動画が読み込まれます。

 

やがて、戦況は悪化します。

ユダヤ人に対する迫害(=ホロコースト)が行われるようになり、北イタリアにナチス・ドイツが進行してきます。グイドたち一家も捕まり、強制収容所へ送られます。

収容所では、男女は別々。グイドとジョズエは、ドーラと引き離されてしまいます。

 

 

グイドは息子に恐怖を味合わせないように、嘘をつきます

「いいかい。これはゲームだ。ママに会いたがったり、泣いたりしたら減点。いい子にしてたら点数がもらえて、全部で1,000点たまったら勝ち!

本物の戦車に乗って、みんなでおうちに帰れるよ」

 

口が達者なグイドは、母と会えずに不安がる息子に嘘をつき、辛い収容所生活を乗り切ろうとしますが・・・

 

ここから先は、ややネタバレになっています。映画をご覧になってからお読みください。

最後のなぞなぞの答えは?伝えたいこととは?【ショーペンハウアーの哲学そのもの】

最後のなぞなぞの答えは、そもそも用意されてなかった?

ホテルの給仕となったグイドは、なぞなぞ好きのレッシング医師と親しくなります。2人はお互いになぞなぞを出し合い、親交を深めてゆきます。

 

しかし、グイドはユダヤ人。レッシングはドイツ人。立場が違います。

 

ユダヤ人のグイドは強制収容所に入れられ、健康診断の場でレッシングと再会します。グイドが妻を助けてほしいと申し出ると、レッシング医師はこんななぞなぞを出します。同僚から聞いた問題が解けなくて、グイドに助けを求めたんですね。

 

レッシング「デブで醜くて、黄色。“どこだ?”と聞かれたら、“ココ”、“ココ”と答え、歩きながらウンチをする。私は誰?」

グイド「・・・・・・」

 

レッシング「コガモだろう? カモノハシかもしれない。だが鳴き声が違う・・・」

 

レッシングはなぞなぞに夢中で、結局グイドの頼みはスルーされてしまいます。劇中では答えは出ません。

 

 

英語サイトを含めた解釈で多いのが、「ユダヤ人」という答え。

ポーランド侵攻のあと、ユダヤ人たちは衣服に黄色い星を縫い付けた腕章をつけさせられました。他の民族と識別するためです。その歴史的事実から導き出された解答。

 

 

こんな解釈をするかたも・・・

問題文がアナグラム(言葉遊び)になっていて、【 ornitorinco 】(カモノハシ)を並べ替えると、【 no ci ritorno 】(いいえ、戻りません)という意味になる・・・

レッシング医師は、なぞなぞに「あなたの家族を助けてあげられず申し訳ない」という気持ちをこめた、という説。

ドイツ人医師の“良心”を信じてあげる、ステキな解釈ですね。

 

 

でも、『ライフ・イズ・ビューティフル』の製作陣によれば、「なぞなぞの答えは用意していない」とのこと。

この返答には、どんな真意が隠されているのでしょうか?

ショーペンハウアーの哲学そのもの?みずから考えないことのへ皮肉?

冒頭。

グイドの友人フェルッチョは、ベッドでこんなことを語ります。

「ショーペンハウアーいわく、意志の力があれば何事も成し遂げられる」

 

アルトゥル・ショーペンハウアーはドイツの哲学者です。

1819年に刊行された著書『意志と表象としての世界』では、こう説いています。

「世界とは、わたしの表象である」

かんたんに言うと、世界は私が心の中でイメージした通りになる、ということ。

 

 

中盤には、こんなやり取りも。タンスの中に入ったジョズエ。グイドはこう語りかけます。

「ショーペンハウアーの魔術だ。テーブルよ、こっちへ動け!」

ジョズエがぴょんぴょん飛び跳ね、あたかもタンスが動いているように見えます。

 

これも、世界はわたしが心の中で願った通りになる、というショーペンハウアー哲学を表現しています。

 

 

この考え方は、ショーペンハウアーの悲観主義的な思想から来ています。

「世の中はあまりに苦しいことばかりだから、楽観的にふるまえば苦しみをやわらげることができるよ」、と。

 

ホロコーストという辛すぎる現実を忘れさせるため、道化(ピエロ)を演じ続けたグイド。彼が映画の冒頭から、“狂気”ともいえるハイテンションでふるまっているのは、辛すぎる世の中を生き抜くための処世術なのです。

 

 

では、グイドとドイツ人医師とのなぞなぞのやり取りは、何を意味しているのか?

 

1851年に、ショーペンハウアーは『読書について』という論文を出しています。この中で、

「ただ本を読むだけでは、他人にものを考えてもらっているのと変わりない.。自分で考え抜いた知識でなければ、何の役にも立たない

という言葉を遺しています。

 

 

レッシングは医師で、なぞなぞが好き。

世間的にいえば、二重の意味でインテリです。ところが、強制収容所でグイドに助けを求められても、レッシングはなぞなぞで頭がいっぱい。

目の前で友だちの家族が殺されようとしているのに、グイドやドーラを助けようなんて、考えも及びません。

 

つまり、レッシング医師は見かけはインテリでも、実際には「自分でものを考えようとしていない」という皮肉になっているのです。

ここでも元になっているのは、やっぱりショーペンハウアー哲学です。

 

脚本を書いたロベルト・ベニーニは、もともと皮肉屋でアナーキスト(=権力にモノ申すタイプ)。彼の初期作『ジョニーの事情』(1991)でも、聖職者や政治家をめっためたに批判しています。

まとめ

シナリオライターが小説家や思想家の名前を引用するとき、そこには意味があります。作品のテーマや脚本家のメッセージが込められていることが多いのです。

 

当ブログでは、他にも幅広い解釈のできるヨーロッパ映画をご紹介しています。

www.entafukuzou.com

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