「我々の最大の敵は、“ある種の人間が別の人間より優れている”という考え方だ」
白人の編集長と黒人の運動家の友情を描き、勇気ある人々がいたことを知らしめてくれるドラマ映画『遠い夜明け』が、BSでテレビ放送されます。
この記事では、映画『遠い夜明け』のあらすじをご紹介。また、黒人活動家スティーヴ・ビコがアパルトヘイト撤廃にはたした役割について、解説します。
- 映画『遠い夜明け』BSプレミアムでのテレビ放送(2024)はいつ?実話?
- 『遠い夜明け』あらすじを簡単に【白人ジャーナリストと黒人の運動家の友情を描く】
- 『遠い夜明け』解説【アパルトヘイト撤廃までの流れと、スティーブ・ビコが果たした功績】
映画『遠い夜明け』BSプレミアムでのテレビ放送(2024)はいつ?実話?
『遠い夜明け』は1987年のイギリス映画。
アパルトヘイト下の南アフリカ共和国で、白人のジャーナリストと黒人の運動家が交友を深めてゆく人間ドラマです。
映画『遠い夜明け』 | |
---|---|
原題 | Cry Freedom |
公開 | 1987年 |
ジャンル | 人間ドラマ |
上映時間 | 157分 |
監督 | リチャード・アッテンボロー(『ガンジー』) |
原作 | ドナルド・ウッズ『Asking for Trouble: Autobiography of a Banned Journalist』 |
出演 | ケヴィン・クライン、デンゼル・ワシントン |
アカデミー賞 | 助演男優賞 ノミネート(デンゼル・ワシントン) |
13:00 ~ 15:39
南アフリカの新聞社の白人編集長ドナルド・ウッズと、黒人解放の運動家スティーヴ・ビコの交友がベースになっています。
映画の冒頭でも、
「身の安全を守るために特に名を秘した2人の登場人物をのぞき、この映画はすべて真実である」
というテロップが入ります。
『遠い夜明け』あらすじを簡単に【白人ジャーナリストと黒人の運動家の友情を描く】
1975年11月24日。南アフリカ共和国。
『デイリー・ディスパッチ』誌の白人編集長ドナルド・ウッズ(ケビン・クライン)は、アパルトヘイトに抵抗する黒人の運動家スティーヴ・ビコ(デンゼル・ワシントン)を紙面で非難します。
「ビコは、この国に白人憎悪の壁を打ち立てている」
すると、黒人の女性医師・ランペーレがウッズの元にやってきて、猛抗議します。
「(憶測だけで記事を書かないで)良心があるなら、ビコに会いに行けば?」
ウッズがビコを訪ねると、ビコは黒人居住区に案内してくれます。黒人たちの生の声を聞き、心動かされたウッズは、新聞社に2人の黒人を雇うことにします。
数日後。ビコはサッカーの大会終了後にマイクを取り、
「対等の立場で白人と向かい合おう!」
と、スピーチします。
このような演説は禁止されていたため、ビコは警察に捕まり、暴力を受けます。さらに、ビコが村に建設しようとしていた自立支援の施設が、何者かに襲撃されます。警察署長や警察官らの破壊行為を疑ったウッズは、クルーガー警視総監(ジョン・ソウ)に抗議します。
さて。度重なる演説行為がもとで、ビコは警察の監視下におかれていました。そんな折、移動を制限する命令に反し、ビコは車でケープタウンに向かいます。
ところが、検問に引っかかったビコは、警察から激しい暴行を受けて・・・
ここから先は、若干のネタバレになってしまう可能性があります。映画本編をご覧になってから、お読みください。
『遠い夜明け』解説【アパルトヘイト撤廃までの流れと、スティーブ・ビコが果たした功績】
「アパルトヘイト」とは、どのような制度?
「アパルトヘイト」とは南アフリカ共和国で、1948年から1990年代まで実施されていた“人種隔離政策”のことです。
スティーブ・ビコが活躍する1960年代までの南アフリカの歴史を、ざっくりと解説します。
アフリカ大陸の最南端にある南アフリカには、もともとズール人・コサ人などの先住民族が住んでいました。17世紀半ば、オランダ東インド会社が喜望峰を中継基地としたことから、オランダ移民が移住してくるようになります。
やがてイギリス人がやってくると、オランダ移民と英国移民が対立。イギリスがケープタウンを占領し、オランダ人は北部に自治政府を作り、もともと住んでいたアフリカ系の人たちは白人政府の支配下におかれます。
1910年、イギリスが植民地を統合して、4つの州からなる南アフリカ連邦ができます。
1911年に「鉱山・労働法」ができ、鉱山で働く白人と黒人のあいだに“賃金格差”が生まれます。
1948年にオランダ系白人が結成した国民党(NP)が政権をとると、黒人にとっては不平等な制度(=アパルトヘイト政策)が拡大されてゆくます。トイレやレストランなど公共の施設は「白人用」と「白人以外用」に区別され、異人種間の恋愛も禁じられます。
アパルトヘイトに対しては、各地で反対運動が起こっています。
のちに大統領となるネルソン・マンデラは、1949年にアフリカ民族会議(ANC)事務局長となり、反アパルトヘイト運動に身を投じます。
アパルトヘイト撤廃までの流れ | |
---|---|
1949年 | 国民党(NP)がアパルトヘイト政策を強めてゆく |
1960年 | シャープビル事件。パス法に対する抗議活動を行なった人たちが警官隊と衝突し、死傷者が出る |
1961年 | 南アフリカ政府はイギリス連邦から独立し、国名を「南アフリカ共和国」とする。 |
1976年 | ソウェト蜂起。アフリカーンス語の強制に反発した学生が抗議デモを行なうが、警官隊による鎮圧で多くの学生が死亡 |
スティーブ・ビコの「黒人意識運動」が、1980年代の反アパルトヘイト運動に受け継がれてゆく
1969年、スティーブ・ビコは南アフリカ学生機構(SASO)を設立し、「黒人意識運動」のリーダーとして黒人の意識改革を訴えます。
It was 45 years ago on this day that white evil, heinous, savage Apartheid regime murdered the father of Black Consciousness in cold blood.
— Cameron Peters (@CameronKendall) September 12, 2022
Today we remember Bantu Stephen "Steve" Biko for the impact he made & ideas he brought to the revolution in his short 30 years on earth. ✊🏾 pic.twitter.com/AKQfVnU1Cx
ビコは、“ブラック・イズ・ビューティフル”というスローガンを掲げ、
「あなたはあなた自身のままでいい」
という考え方を広めました。
映画『遠い夜明け』の序盤。
ビコとドナルド・ウッズが、こんなやり取りをしています。
ウッズ「我々は差別撤廃に向け努力している」
ビコ「君らの望む人間には改造できん」
ウッズが
“社会を変革しようと思ったら、緩やかに変えていかねばならない”
と主張するのに対し、
ビコは、黒人が人としての尊厳を踏みにじられている実情を見せ、
“いっこくも早く、対等な社会を作らねばならない”
と訴えています。
ビコは1977年に拷問の末、獄死します。
身の危険を感じたウッズはロンドンに亡命し、ビコとの交流を描いた著作『ビーコウ アパルトヘイトとの限りなき戦い』を発表します。さらに、もう一つの著書『Asking for Trouble』を出版し、これらをもとに映画『遠い夜明け』が制作されます。
アパルトヘイト撤廃までの流れ(続き) | |
---|---|
1977年 | 逮捕されたビコは、脳損傷で死亡する |
1980年代 | 反アパルトヘイト運動が活発化。85年には、南ア政府に対する経済制裁も発動される |
1991年 | デクラーク大統領が、アパルトヘイト撤廃を宣言する |
1994年 | 全人種が参加した選挙を経て、黒人初のマンデラ大統領が誕生 |
ビコの思想は南アフリカの若者たちに受け継がれ、1980年代の反アパルトヘイト運動、1991年のアパルトヘイト撤廃へとつながってゆきます。