※この記事は、2021年1月に更新しました。
2月3日は節分(せつぶん)。夜になると、家族みんなで
「鬼は~外! 福は~内!」
と言いながら、豆をまきますね。
節分は、いつから始まったのでしょうか? どうして豆をまくのでしょうか?
このページでは、節分や豆まきの由来について、子ども向けにわかりやすく説明します。
節分の意味は? もとになった「二十四節気」(にじゅうしせっき)とは?
節分という言葉には、「季節を分ける」という意味があります。季節には、春・夏・秋・冬の4つがありますよね。
それぞれの季節の始まりの日のことを、立春・立夏・立秋・立冬とよびます。そして、季節の始まりの日の前日のことを節分というのです。
この季節の分け方には、「二十四節気」(にじゅうしせっき)という中国の考え方が取り入れられています。地球から見た太陽の位置をもとに、1年を春・夏・秋・冬の4つの季節に分け、さらにそれぞれを6つに分けています。
太陽の位置をもとに決められる「二十四節気」(にじゅうしせっき)は、毎年同じ日になるとは限りません。
まず、地球が太陽のまわりを一周するのにかかる時間は、きっちり365日ではなく、実際は365日と約6時間です。うるう年でも調整しきれない、わずかなズレがあります。
そして、地球の軸は傾いた状態(23.4度)で太陽の周りをまわるため、太陽の角度も毎日少しずつ変動します。
このため、年によって(地球から見た)太陽が立春の位置にくる時間が変わります。日付が前後することもあり、それに合わせて節分も2月2日や2月4日に移動することになるのです。
節分の由来は? 風習はいつから始まった?
昔から、季節の変わり目には邪気(=悪いエネルギー)が病気や火事、地震などをはこんでくると考えられていました。そのため、中国では大晦日(おおみそか)に、邪気を追いはらうための行事がおこなわれていたのです。
この中国の習慣が、奈良時代の日本に入ってきます。
そして、平安時代になると、宮中では追儺(ついな)という行事がおこなわれるようになります。
これは、4つ目の怖いお面をかぶった役人が矛(ほこ)と盾(たて)を持って
「鬼やらい! 鬼やらい!」
とかけ声をあげながら宮中を歩き回り、鬼(=悪いエネルギー)を追い出す儀式です。
大晦日(おおみそか)にこの行事をおこなうことで、1年間の災いを取り除いて、気持ちよく新しい年を迎えようとしたのですね。
室町時代になると、豆をまいて悪い鬼を追いだす行事として、ふつうの家庭にも広まってゆきます。
どうして豆まきをするの?
昔から、米とか豆には、精霊が宿っていると考えられていました。邪悪なものを打ち払う不思議なパワーがあると信じられていたのです。
こんな昔話があります。
京都の鞍馬山(くらまやま)に住んでいた2匹の鬼が、都に侵入しようとします。そんなとき、人々の前に毘沙門天(びしゃもんてん)という神さまが現れます。
神さまは
「3合3斗の大豆を炒って(いって)、鬼の目に投げつけなさい」
というお告げを出します。
このお告げの通り、人々が豆を投げつけたところ、みごと鬼は退散したそうです。豆には、「魔目=魔(ま)の目(め)」に投げつけて、「魔滅=魔(ま)を滅(めっ)する」というゴロ合わせの意味もこめられています。
※ここでいう魔とは、鬼のこと。
どうして新年を祝う行事が、2月3日に行われるようになったの?
明治時代にはいると、ヨーロッパの文化がたくさん日本に入ってくるようになります。
たとえば、洋服などのファッション、牛肉などの食べ物がそうです。また、町に街灯やレンガ造りの建物ができたのも、この頃です。西洋化をすすめていくうちに、何かと不都合になってきたのがカレンダーです。お休みの日が違ったりすると、外国との貿易もやりにくくなりますから。
そこで明治政府は、ヨーロッパ各国が使っていた太陽歴という暦(こよみ)を採用することにします。このため、旧暦(=昔の日本の人たちが使っていた暦)とは、およそ1ヶ月のズレが生じるようになります。
こうして、大晦日に行われていた豆まきは約1ヶ月後ろにズレて、2月3日にやるようになったのです。